同志社生協では設立50周年・発祥110年を記念して、機関誌『東と西と』創刊号からの復刻版『同志社生協史料集T「東と西と」第1 期』(発行:同志社生協、編集監修:同志社生協50年史編纂委員会)をこのたび刊行いたしました。『東と西と』は1957年11月に創刊され、現在も発行されている同志社生協の機関誌です。名前を変えずに途切れることなく発行しつづけてきた例は日本で唯一のことで、名前を変えていない最長寿大学生協機関誌といえるとのことです。復刻版を編集するに当たっての裏話を紹介しましょう。

同志社生協では、「『東と西と』の創刊号をご存知ないですか? 古い号を探しています」と機関誌『東と西と』のバックナンバーの発掘を呼びかけてきました。元職員や関係者、NACSIS Webcatや国会図書館、古本屋など、いろいろ探索を試みましたが、どこにもなく、諦めかけていた2007年秋になって、設立頃の職員のお宅から発見され、同志社生協に寄贈されました。『東と西と』の題字の原版(毛筆書き)や創刊当時の表紙絵の原画も別のところから発見され、寄贈されました。創刊号が確認されたのは、30年ぶりのことです。
創刊号の発見や題字原版の発見によって、いろいろなことが判りました。まず、『東と西と』創刊号は、いまから50年前の1957年11月の同志社EVEの時に発行されました。同志社生協の歴史や京都地域の大学生協史を調べていくと、『東と西と』は、名前を変えずに発行し続けて来たもっとも長寿の大学生協機関誌、ということがわかってきたのです。
巻頭には、当時、京都市役所前にあったロダン作のアダム像についての詩が掲載されています。だれもいない真夜中。アダムは、のっそりと台から降りてきて、バラの花園でイヴを求めてからだをねじらせている……作者の「木虫春夫」がどういう人かは判っていませんが、イヴとアダムを連想するところなど、同志社らしい、と思いませんか。11月19日の同志社創立祭=今出川キャンパスの同志社EVEに対し、京田辺キャンパスの祭は、通称「アダム祭」と呼ばれています。
タイトルの「東と西と」がどういういきさつで決まったのか、説明した記事が見当たりません。50年前、二十歳前後の学生たちは今、70歳代でしょうか。終戦を10代で迎えた世代です。先輩たちがどういう思いで「東と西と」と名付けたのか、みんなで考えてみませんか。
『東と西と』の毛筆書きの題字には数点候補作品もあって、オーソドックスな書体よりも、斬新な書体が選ばれたことがわかりました。作者の鎌田末治さん(1905〜1975)の本職は公認会計士。学友会の会計関係の支援をしていました。
表紙絵を描いた伊谷賢蔵画伯(1902〜1970)は同志社出身で、行動美術派の洋画家。1937年、中井正一(1900〜1952、美学者、元国会図書館副館長)らの発行した反ファシズム文化誌『土曜日』の挿絵を描いたことでも有名です。戦後は、同志社高校の美術教諭もつとめました。
『東と西と』は現在も、学生委員会「東と西と」編集部の学生たちが編集していますが、創刊当時には、学生たちや理事はもちろん、大学の教職員、食堂の職員らも執筆し、伝統ある大学生協らしく、大勢の先輩たちの応援があったことが誌面から伝わってきます。
なかでも、戦前の大学生協や地域生協にかかわった元同志社大学教授・能勢克男氏(1894〜1979、戦後は弁護士、洛北生協(現京都生協)初代理事長)のように、寄稿から編集実務まで協力を惜しまなかった先輩たちもいました。能勢氏は、前述の『土曜日』や『世界文化』の編集に携わり、反戦平和を訴え、治安維持法違反として逮捕された経験を持っています。
古い『東と西と』が出て来たことで、今の機関誌のタイトルとは「と」の文字が入れ替わっていることもわかりました。(WEB 東と西と 参照)創刊50年の間にいったい何があったのでしょうか? 同志社生協の歴史や京都地域の大学生協の歴史を調べようと、「同志社生協50年史編纂委員会」、同志社大学人文科学研究所の「京都地域における大学生協の総合的研究」の調査・研究が進んでいます。
同志社生協では設立50周年・発祥110年を記念して、機関誌『東と西と』復刻版をつくる計画が浮上し、2008年2月末、『同志社生協史料集T 「東と西と」第1期』(発行:同志社生協、編集監修:同志社生協50年史編纂委員会)が刊行されました。普及版が同4月末に刊行されます。
創刊号から1966年までに発行されたB5判冊子形式の時代の89号までをほぼ原寸大で読める貴重な史料集です。法人認可を受ける前の同志社大学消費生活協同組合時代の機関誌『平和と生活』(1956〜1957)や、『東と西と 婦人版』(1960〜1963)、『東と西と 高校版』などもかなりのスペースを割いて収録されています。
大学生協の機関誌が復刻版になったという例は、おそらく日本で最初のことで、その意義は大変大きいといえましょう。誌面を繰ってみると、60年安保闘争や学館闘争、食堂の改善運動、女性組合員向けの工夫など、大学生協が抱いていた展望と課題、学生たちの思考・実生活、現実が鮮やかに浮かび上がってきます。今の学生たちには「これって意味がわからないな」と感じる記事もあることでしょう。一方、卒業生のなかには「懐かしいなぁ」と思う人もいるでしょう。世代や立場は違えども、大学生の生活の変遷を知る上で、貴重な記録であることに変わりはありません。 A4判(普及版はB5判)、830ページ。一度、図書館や生協書籍部などで手に取ってみてください。
京都はたくさんの大学が隣接しあう、まさに学生の町。そんな環境の中で、同志社生協も 長年、学生の皆さん、教職員の皆さんにご利用いただいて、2007年に50周年の節目を迎えました。 設立は1957年11月です。 この節目に、組合員のみなさんと一緒に歩んで来た歴史を、振り返ってみようということになりました。
倉庫の中に眠っていた古い資料を引っ張り出して、整理していますと、倉庫の奥から、1960年(昭和35年)発行の機関紙『東と西と 婦人版第1号』が出てきました。 『東と西と』は、今も学生組合員さんの手で発行されている同志社生協の機関紙です。こちらも創刊50周年を迎えますが、 婦人版があったことなど、今働いている生協職員は誰も知りませんでした。モダンな表紙に驚かされます。
婦人版は、20号(1963年11月号)まで出てきました。その後、発行されていたのかどうか、これから当時を知る先輩方に インタビューを重ねて、調べていこうというところです。 古い『東と西と』も出てきました。残念ながら創刊号はありません。
私たちは、古い資料を整理し、読み直すうちに、そこに当時の社会そして学生さんの暮らしがありありと反映していることに気がつきました。 社会の変遷の中で、学生生活がどう変化してきたのか?そして生協もどう変化してきたのか? そもそもどうして、生協が生まれたのか?誰がどんな思いで生協を作ったのか?
歴史的に見ても、戦前、安部磯雄が同志社の中に消費組合を作ったのが、日本における学生消費組合の発祥といわれており、 同志社生協の歴史を掘り下げることは、とても意義深いことだと思っています。 私たちは、この機会に同志社生協、そして近隣の立命館や京大生協も含めた『京都の大学生協史』を、一冊の本にまとめることに いたしました。 今、多くの方のご協力のもとに、その仕事が始まったばかりです。