【講演】北垣宗治 先生(同志社大学名誉教授、元敬和学園大学学長)
【演題】「デイヴィスって、だあれ?」
【日時】2008年4月7日(月) 12:00 〜 12:30
【場所】デイヴィス・カフェ(体育地区食堂)
北垣先生プロフィール
北垣宗治(きたがき・むねはる) 1929年兵庫県に生まれる。1952年同志社大学英文学科卒業後、同志社大学とスコットランドのセント・アンドルーズ大学の大学院で研究を続け、文学修士とB. Phil. の学位を得る。米国アーモスト大学で短期間研修ののち、30年以上にわたり、同志社大学と大学院で英文学を教え、1990年に退職、名誉教授となる。この間二度にわたり、ハーヴァード大学客員研究員。「17世紀英国の翻訳と翻訳論」(英文)により同志社大学から文学博士号を受けた。
1991年新潟県新発田市に設置された敬和学園大学の初代学長を12年間務めて、2003年退職。新島研究のかたわら、デイヴィス著『新島襄の生涯』(同志社大学出版部、1992年)の翻訳を始め、J. マール・デイヴィス著『宣教の勇者デイヴィスの生涯』(学校法人 同志社、2006年) 翻訳を昨年出版した。
(講演内容のご紹介)
Jerome Dean Davis (1838-1910) は同志社の三人の創立者の一人として、同志社史上極めて重要な役割をはたした宣教師でした。新島襄はデイヴィスを信頼し、尊敬してきました。新島が1890年に46歳11か月の若さで亡くなったとき、真先に新島の伝記を書いたのはデイヴィスでした。彼はその後同志社で働いた宣教師たちの間で重鎮でしたが、彼に反発した学生もいたことは事実です。新島の死後、同志社は国家主義を強化していく政府ににらまれ、生きのびるためにはキリスト教主義の看板をおろすか、極端にうすめるかの瀬戸際に追いやられました。その時、敢然と立ち上がって同志社理事会に叛旗を翻し、同志社のキリスト教教育を救うために、訴訟をも辞さない覚悟で闘ったのがデイヴィスでした。彼の遺言、「わが生涯、これが子供らに対する私のメッセージです」( MY LIFE IS MY MESSAGE:この言葉はデイヴィス記念館の入り口に掲げられています)をもう一度、深く味わいたいものです。
<Davis Cafe'の入り口のタブレットに書かれているデイヴィス先生の言葉>
“The bent of mind which will hold on and hold in and hold out, in the face of great difficulties,
is one of the chief secrets of success." (Soldier Missionary, J.M. Davis p. 331 原文)
日本語訳「成功の秘密は最後まで耐え忍ぶことだ」(『宣教の勇者』北垣訳p. 381 纏め上げた表現)