同志社生協について

同志社生協50年史



 同志社生協設立50年発祥110年記念誌『きょうとからの出発』が完成!

 2006年3月に同志社生協50年史編纂委員会(代表は大鉢 忠・同志社生協理事長)が発足して以来、設立50年発祥110年記念誌の制作を手がけてきました。それから3年、ようやく完成にこぎつけました。

 記念誌のタイトル「きょうとからの出発」とは、1898年、日本で最初の大学生協が同志社教員の安部磯雄によって実践されたことと、1929年、同志社から生まれた京都家庭消費組合の理事長だった能勢克男(元同志社大学教授)が鴨川デルタ地域から市民地域生協を興した体験を"デルタからの出発"と題したことにちなみ命名されました。

 記念誌では、豊富な写真やコメントによって同志社生協110年の歩みがたどれます。安部磯雄の消費組合に関する原稿や竹本成德さん(同志社大学法学部出身、初代同志社大学協同組合専務理事、元日本生協連会長)ら先輩たちの寄稿文も収録されていて、先人たちが同志社生協に託した"理想"、そして大学生協開拓期の精神が伝わってきます。

 同志社生協の暦年事業概要、施設の変遷、詳細な大学生協運動史年表は今後の京都地域の大学生協史に役立ちそうです。

貴重な写真や資料が満載

 掲載されている写真の中には、本邦初公開というものも珍しくありません。いくつか紹介しましょう。
 1928年、同志社消費組合(当時は生活協同組合と言わずに消費組合と呼ばれていました)に、国際労働機関ILOのトーマ事務局長が来日し、京都の同志社消費組合を見学したときの写真(11ページ)が掲載されています。


 この頃の同志社消費組合の活動が京都における協同組合運動の成功例として国際的に紹介された一例です。写真中央にトーマ事務局長、その右側の同志社消費組合長・故田原和郎氏が写真を所蔵されていました。実に80年ぶりの公開です。

 もう一つは、「同志社大学消費生活協同組合」設立時の写真です。1957年11月、それまでの「同志社大学協同組合」は法人格取得に向けてあらためて設立総会を開き、翌年6月に第1回総代会を開催しました。掲載の写真(28ページ)中央には、当時49歳の故・嶋田啓一郎・初代理事長が写っています。


 嶋田先生は、戦時中から同志社の協同組合に尽力してこられました。今回の記念誌編集過程で、歴代の生協役員に資料の提供を呼びかけたところ、この第1回総代会の様子を伝える写真5枚が発見されました。これも50年ぶりに公開される写真です。

組合員の声にこたえて、生協食堂も進化

 同志社生協が保存していた貴重な資料類は、現在、同志社大学人文科学研究所に寄贈され整理されています。この同志社生協資料を調査・分析して『きょうとからの出発』は編纂されました。

 たとえば昔の食堂の様子を調べてみると、組合員や利用者の声、要望にこたえて、食堂も進化してきたことがわかります。1950年代の旧学生会館(至誠館の辺りにあった、今はありません)の食堂は、フランス料理風にナイフとフォークで提供されていました。その後割り箸になり、環境への配慮から現在のカーボネートになったのは1990年でした。こうした変更も組合員とともに話し合って決めたことです。

 大きな変化があったのは1980年。M地下食堂(明徳館地下食堂)が定食スタイルから、現在形の、自分でメニューを決める「トレイ・メイキング」方式に変わりました。利用者は自分で自分の健康や栄養を考えて、選ぶ楽しさや食のコミュニケーションがぐんと進みました。この食堂改革は、京都地域の大学生協の中でも先進的な試みで、各地の大学生協から見学が絶えなかったそうです。

 編纂委員会代表の大鉢 忠・同志社生協理事長は、「同志社生協の歴史に関心持ってもらえれば、大学生協が同志社のキャンパスライフに欠かせない活動をしてきたことがわかります。ぜひ"大学に、生協があってよかった"を実感してください」と話しています。

『きょうとからの出発』について

『きょうとからの出発』は、B5判・並製・80ページ
 価格 2,000円(税込み)
 同志社生協今出川扶桑館地下書籍部、京田辺書籍部、弘風館生協ショップ、京田辺購買部でお買い求めください。

更新日:2009年7月9日

 『同志社生協史料集II「東と西と」第2期』が完成しました。

 同志社生協機関誌『東と西と』の70年代から80年代前半の復刻版『同志社生協史料集II「東と西と」第2期』が完成しました。これで、昨年刊行した『同志社生協史料集I「東と西と」第1期』(1957~1966)とあわせて、28年分の機関誌が通しで読めるようになりました。日本でもっとも長寿の大学生協機関誌がこうして手軽に読めるってことはとっても珍しいことで、おそらく日本で同志社だけです。

第1期、第2期ってなに?

 『東と西と』が創刊されたのは1957年11月。同志社生協が法人化にむけて創立総会(それまでは任意団体でした)を開いた年でした。今年で52歳ってことですが、その間にいろんなことがあり、創刊から1966年12月号まではB5版冊子(第1期)、1967年から1986年1月号はタブロイド版(第2期)、そして同年4月号に再びB5版に変更され、それが現在まで続いています(第3期)。1967年と1986年の改革は、単に誌面サイズが変わったというだけでなく、同志社生協の活動としても大きな改革、転換点だったことを知ることができます。

 第1期は、朝鮮戦争後の経済復興期から、60年安保闘争やベトナム戦争という激動の社会下にあって、大学生も社会問題や政治に関わり、大学教育に対する改革を要求した「大学紛争」の時代でした。高度経済成長期には学生生活は豊かになり、同志社生協は京都地域の他の大学生協と協力して、組合員のさまざまな要求を実現してゆきました。

 第2期の60年代末から80年代前半までは、今日の同志社生協の基礎を形作った時期といえそうです。社会は1970年のドル・ショック、1973年の石油ショックのあと、「重厚長大から軽薄短小へ」「消費社会化」がすすみ、豊かさと情報化のなかで育った大学生の要望に応えて、同志社生協は食堂を現在のカフェテリア方式に変えるなど、より快適に、より自由で個性的な大学生協へと発展してゆきました。この頃の大学生は「新人類」と呼ばれたりしました。1986年4月にふたたび『東と西と』を誌面改革することになったのは、この年から京田辺キャンパスが開校して、生協も今出川と京田辺の二カ所で営業を始めるという大変革があったからです。

 70年代にはじまって、今も続いている事業に、書籍部の1割引きがあります。同志社生協の書籍部ですべての本が1割引きになるのは1978年から。みんなの利用と協力があるから実現したんですね。

全国大学生協連合会の会長理事も推薦

 『同志社生協史料集I「東と西と」第1期』と『同志社生協史料集II「東と西と」第2期』が完成して、全国大学生活協同組合連合会の会長理事である、庄司興吉先生(東京大学名誉教授、社会学者)が推薦メッセージをくださいました。
 「大学生協は今、世界的な危機と変革の激流のなかで、新しいあり方・行き方を迫られている。大学の変容にともない、一般企業等がキャンパスに進入してくるなかで、大学生協の意味を問い直し、大学構成員である学生・教職員に訴えていく以外に道はない。大学生活の基礎を、教育と研究の基礎を、一般企業等の商品・サービス提供に任せるのがよいのか、それとも学生・教職員の協同を強めて守っていくべきなのか。歴史が答えを出している。世界に類例のない日本の大学生協の歴史の一翼を、安部磯雄の先駆的実践をふまえて独創的に担ってきた同志社生協の歴史が、今ここに躍動的に甦る。」

 文中の「安部磯雄の先駆的実践」とは、いまから110年前の1898年、同志社で日本最初の大学生協が生まれたことを指しています。同志社で教えていた安部磯雄が中心となって、学内に生協のお店を作ったのが、日本の大学生協第1号です。これが1898年を同志社生協発祥の年としている根拠です。(これについては、このサイト内の「大学生協の人々 安部磯雄」でも説明しています)

 『東と西と』の復刻版をもとに、「同志社生協の歴史を調べてみたい」とか、「大学生協に、こんなことをやってほしい」などなど、意見をくださいね。

『同志社生協史料集II「東と西と」第2期』は、『同志社生協史料集I「東と西と」第1期』とあわせて取り扱っています。

 『同志社生協史料集II「東と西と」第2期』/2009年2月刊



B5判・並製・カバー装・474ページ
普及版特別頒布価格 6,000円(税込み、送料別)
同志社生協史料集I・II 2冊セット価格
揃定価=12,000円(税込み、送料別)
取扱 同志社生協書籍部

更新日:2009年5月8日


 「東と西と」第1期の復刻版が刊行されました。

 同志社生協では設立50周年・発祥110年を記念して、機関誌『東と西と』創刊号からの復刻版『同志社生協史料集I「東と西と」第1期』(発行:同志社生協、編集監修:同志社生協50年史編纂委員会)をこのたび刊行いたしました。『東と西と』は1957年11月に創刊され、現在も発行されている同志社生協の機関誌です。名前を変えずに途切れることなく発行しつづけてきた例は日本で唯一のことで、名前を変えていない最長寿大学生協機関誌といえるとのことです。復刻版を編集するに当たっての裏話を紹介しましょう。

『東と西と』の創刊号が見つかりました。

 同志社生協では、「『東と西と』の創刊号をご存知ないですか? 古い号を探しています」と機関誌『東と西と』のバックナンバーの発掘を呼びかけてきました。元職員や関係者、NACSIS Webcatや国会図書館、古本屋など、いろいろ探索を試みましたが、どこにもなく、諦めかけていた2007年秋になって、設立頃の職員のお宅から発見され、同志社生協に寄贈されました。『東と西と』の題字の原版(毛筆書き)や創刊当時の表紙絵の原画も別のところから発見され、寄贈されました。創刊号が確認されたのは、30年ぶりのことです。

 創刊号の発見や題字原版の発見によって、いろいろなことが判りました。まず、『東と西と』創刊号は、いまから50年前の1957年11月の同志社EVEの時に発行されました。同志社生協の歴史や京都地域の大学生協史を調べていくと、『東と西と』は、名前を変えずに発行し続けて来たもっとも長寿の大学生協機関誌、ということがわかってきたのです。

 巻頭には、当時、京都市役所前にあったロダン作のアダム像についての詩が掲載されています。だれもいない真夜中。アダムは、のっそりと台から降りてきて、バラの花園でイヴを求めてからだをねじらせている......作者の「木虫春夫」がどういう人かは判っていませんが、イヴとアダムを連想するところなど、同志社らしい、と思いませんか。11月19日の同志社創立祭=今出川キャンパスの同志社EVEに対し、京田辺キャンパスの祭は、通称「アダム祭」と呼ばれています。

 タイトルの「東と西と」がどういういきさつで決まったのか、説明した記事が見当たりません。50年前、二十歳前後の学生たちは今、70歳代でしょうか。終戦を10代で迎えた世代です。先輩たちがどういう思いで「東と西と」と名付けたのか、みんなで考えてみませんか。

題字と挿絵

 『東と西と』の毛筆書きの題字には数点候補作品もあって、オーソドックスな書体よりも、斬新な書体が選ばれたことがわかりました。作者の鎌田末治さん(1905~1975)の本職は公認会計士。学友会の会計関係の支援をしていました。

 表紙絵を描いた伊谷賢蔵画伯(1902~1970)は同志社出身で、行動美術派の洋画家。1937年、中井正一(1900~1952、美学者、元国会図書館副館長)らの発行した反ファシズム文化誌『土曜日』の挿絵を描いたことでも有名です。戦後は、同志社高校の美術教諭もつとめました。

 『東と西と』は現在も、学生委員会「東と西と」編集部の学生たちが編集していますが、創刊当時には、学生たちや理事はもちろん、大学の教職員、食堂の職員らも執筆し、伝統ある大学生協らしく、大勢の先輩たちの応援があったことが誌面から伝わってきます。

 なかでも、戦前の大学生協や地域生協にかかわった元同志社大学教授・能勢克男氏(1894~1979、戦後は弁護士、洛北生協(現京都生協)初代理事長)のように、寄稿から編集実務まで協力を惜しまなかった先輩たちもいました。能勢氏は、前述の『土曜日』や『世界文化』の編集に携わり、反戦平和を訴え、治安維持法違反として逮捕された経験を持っています。

 古い『東と西と』が出て来たことで、今の機関誌のタイトルとは「と」の文字が入れ替わっていることもわかりました。創刊50年の間にいったい何があったのでしょうか? 同志社生協の歴史や京都地域の大学生協の歴史を調べようと、「同志社生協50年史編纂委員会」、同志社大学人文科学研究所の「京都地域における大学生協の総合的研究」の調査・研究が進んでいます。

『同志社生協史料集I「東と西と」第1期』

 同志社生協では設立50周年・発祥110年を記念して、機関誌『東と西と』復刻版をつくる計画が浮上し、2008年2月末、『同志社生協史料集I「東と西と」第1期』(発行:同志社生協、編集監修:同志社生協50年史編纂委員会)が刊行されました。普及版が同4月末に刊行されます。

 創刊号から1966年までに発行されたB5判冊子形式の時代の89号までをほぼ原寸大で読める貴重な史料集です。法人認可を受ける前の同志社大学消費生活協同組合時代の機関誌『平和と生活』(1956~1957)や、『東と西と 婦人版』(1960~1963)、『東と西と 高校版』などもかなりのスペースを割いて収録されています。

 大学生協の機関誌が復刻版になったという例は、おそらく日本で最初のことで、その意義は大変大きいといえましょう。誌面を繰ってみると、60年安保闘争や学館闘争、食堂の改善運動、女性組合員向けの工夫など、大学生協が抱いていた展望と課題、学生たちの思考・実生活、現実が鮮やかに浮かび上がってきます。今の学生たちには「これって意味がわからないな」と感じる記事もあることでしょう。一方、卒業生のなかには「懐かしいなぁ」と思う人もいるでしょう。世代や立場は違えども、大学生の生活の変遷を知る上で、貴重な記録であることに変わりはありません。 A4判(普及版はB5判)、830ページ。一度、図書館や生協書籍部などで手に取ってみてください。

更新日:2008年5月12日


 同志社生協は、2007年に設立50周年を迎えます


 京都はたくさんの大学が隣接しあう、まさに学生の町。そんな環境の中で、同志社生協も長年、学生の皆さん、教職員の皆さんにご利用いただいて、2007年に50周年の節目を迎えました。 設立は1957年11月です。 この節目に、組合員のみなさんと一緒に歩んで来た歴史を、振り返ってみようということになりました。

 倉庫の中に眠っていた古い資料を引っ張り出して、整理していますと、倉庫の奥から、1960年(昭和35年)発行の機関紙『東と西と 婦人版第1号』が出てきました。

 『東と西と』は、今も学生組合員さんの手で発行されている同志社生協の機関紙です。こちらも創刊50周年を迎えますが、婦人版があったことなど、今働いている生協職員は誰も知りませんでした。モダンな表紙に驚かされます。

 婦人版は、20号(1963年11月号)まで出てきました。その後、発行されていたのかどうか、これから当時を知る先輩方に インタビューを重ねて、調べていこうというところです。 古い『東と西と』も出てきました。残念ながら創刊号はありません。

 私たちは、古い資料を整理し、読み直すうちに、そこに当時の社会そして学生さんの暮らしがありありと反映していることに気がつきました。
 社会の変遷の中で、学生生活がどう変化してきたのか?そして生協もどう変化してきたのか? そもそもどうして、生協が生まれたのか?誰がどんな思いで生協を作ったのか?

 歴史的に見ても、戦前、安部磯雄が同志社の中に消費組合を作ったのが、日本における学生消費組合の発祥といわれており、同志社生協の歴史を掘り下げることは、とても意義深いことだと思っています。 私たちは、この機会に同志社生協、そして近隣の立命館や京大生協も含めた『京都の大学生協史』を、一冊の本にまとめることに いたしました。
今、多くの方のご協力のもとに、その仕事が始まったばかりです。

更新日:2006年9月8日